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郵便局に行く用事を思い出して、土でできた道の真ん中で方向転換をすると、ころんと小石が落ちた。


道の左には自分の身体を大きく越えるサトウキビ畑があって、熱い空気の列がそれを執拗に撫でつけていた。

サトウキビ畑には有害な農薬がたくさん使われていて、それは人間の脳にダメージを与えるのだと本で読んだ。

その農薬の影響を受けたに違いないが、端に植わってるソテツが不自然にグニャリと曲がって全体が枯れていて、それは似ても似つかないはずの自分自身の身体を思い起こさせた。


小石。拾ってみると、それはひんやり冷たくてずっしりとしている。

 

下着を付けずに履いていた麻のズボンの中では太腿の内側に朝の男のものが垂れてきており、季節のない島の中にある自分を腐りはじめた果物のように感じた。

 

ポケットの中を探ってみると、擦られたマッチ棒、五百円かそれくらいぶんの小銭と、植物か何かの種子が入っていたが、小石が入っていた形跡はどこにも見当たらず、自分から落ちてきたような気がしたが、何故落ちたのかと暫し時間を忘れると突然鼻の奥に生暖かいものがきて、鳥たちがいっせいに羽ばたいて、そのはじめの一滴が身体を刺す前に雨が来たのだと分かった。


スコールにはまだ早い時間だったが、まるで瞼の内側に蜘蛛の糸が張られていくように、まばたきをするたびに雨足はその激しさを増し、遂には大地や植物と自分自身の境界を見失わせた。

 

急いで駆け込み、郵便局に入ると中は静まりかえっていて、唯一聞こえる壊れた扇風機の音が、昔見た映画に出てくる脚を怪我した日本兵が右足を引き摺って歩く時の音に似ていた。

神経症の如く過剰に冷房の効いた室内では、蛍光灯に照らされた郵便局の女の指先が心なしか震えているように見えた。

 

女に切手を選びたいと伝えるとすぐさま透明なラミネート加工が施された切手のシートを何枚か持ってきて、にこやかな笑顔を見せた。

世界遺産のシリーズのもの、有名なキャラクターのもの、どこかの国との国交を記念したもの、鮮やかな鳥が描かれたものなどさまざまな種類の切手があったが、中でもわたしの心を引いたのは不思議な絵の切手だった。その背景は灰色で、19世紀のヨーロッパらしい図柄で初老の女が描かれていた。部屋の小さな窓の方を見ている。が、その目線は何にも結びついておらず、彼女が頭に結んでいる黄色いハンカチーフも濁りを露わにし、すべてはあくまで薄暗いトーンで塗られていた。最初、自分の記憶と照らし合わせてみたが、こんな絵は今まで何処でもみた事がないし、その絵の調子は切手にするには明らかに暗すぎた。

部屋の右手に描かれた薄汚れた鍬が彼女が農家の女である事を示していた。

私はその切手を持ってくるよう女に言った。女は今度は笑顔を見せずに100円を受け取り、私は挨拶もせずに郵便局を後にした。

気まぐれなもので、外に出ると雨はほとんど止んでいた。

しかし、まだ厚く、絶望的に動かない雲が依然として頭上に居座っていた。

 

駆け足で家に帰り、縁側で、早朝に仕事に出掛けた勤労な男が残したパンのかけらを、沸かした熱いミルクで流し込んでいた。

砂糖を入れて甘くなりすぎたミルクは舌を根元から堕落させる。私は自分自身のことを、なんてはしたないんだと嘲った。

また強く降り出した雨の音をぼんやり聞いていた。

さっき買った切手を出そうと何も入っていない方のポケットを探ると、ひんやりとしたものがあった。

突然のスコールに気を取られて、小石を持ってきてしまったらしい。

食べかけのパンを置いて、小石と切手を隣に並べると、なんだか不思議な気持ちがした。その二つは余りにもよく馴染んでいた。まるで何百年も前から決まっていたように、疲れた女の虚ろな顔とその小石は並んでいた。

ふと、おかしな考えに取り憑かれた。

この石は私自身の女性性のカケラでは無いのかと。ツヤツヤとして黒黒と光るそれは、私の脚の付け根にある熱いものとは似ても似つかなかったが、恐ろしさという点でそれは類似していた。

私は女で、女では無いもので、男で、男では無いものだ。変わり続けた果てに何処に行けるのかは誰も分からないが、私は、自分という存在を呪いたくなかった。

だが、生きるという事は尚もより一層の深みまで私を誘い、蹂躙し、ばらばらにするかもしれなかった。

それでも、呪いと共にあっても、生きていかなければならないのか。

 

切手の女が少し笑った気がした。