氷男爵

中学生の時北海道大学の男の子と付き合ってて、半年北海道に住んだ。彼は生物の分野だったが、私はある博士と仲良くなり、低温科学研究所に出入りしていた。


J博士は宇宙や彗星で観測される水や、北方領土におけるエゾシカの生息状況、氷の新しい溶け方について、、など、とにかく低温に関することをなんでも研究していた。
彼はとにかく低温に惹かれているようだった。取り憑かれているといってもいい。ある時、彼が話してくれたのだが、彼の一番の望みは凍死することらしい。物心ついた時から低温に心を奪われ、今では、命まで奪われたいと願っているという。その本質についてあえて聞くことはしなかった。言葉を介さずにも彼の気持ちがわかるような気がしたからだ。


彼は非常に無口で、例の如く体温は低く、肌は雪のように白く透けていた。くちびるだけが血のように赤く、40を過ぎたあたりだったが、さながら美青年の吸血鬼のようだった。
学生とはほとんど話をしなかったと思う。が、私には心を開いてくれた。


彼は私にメロンにAIのチップを埋め込む仕事を任せた。彼は私には色々な話をしてくれた。彼は自分で疑似凍死薬というのをつくっていて、今思うと違法ドラッグの一種だと思うが、透明な液体を注射器にいれてたまに腕に刺しているところをみた。どんな成分なのかわからないけど、コークや、LSDとは違うのだろう。打ったあとでも彼の意識は非常に明瞭だった。「指先や首がじんとするんだ」と彼は言った。

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あるとき、J博士の研究発表が北大のB館で行われた。光合成の進化の再現をするということだった。とても寒い日で、少し外に出ただけでわたしのまつ毛は白く凍った。

J博士はいつもに増して、美しく、白くパリッとしたシャツに仕立てのよい黒のスラックスを履いていた。エナジー風呂という特殊な成分を含んだ風呂を部屋の真ん中に置き、私に入るように指示した。私は着ていた服を全て脱いでその薄緑の液体に浸かった。薄暗い部屋で14歳の少女の身体がどう見えたのか私にはわからない、私は自分の腰のあたりが発熱してると感じていた。
今でもその衝撃を覚えてるのだが、液体が皮膚全体に触れた途端に暴力的な眠気が襲い、私はほぼ一瞬で寝入ってしまった。起きた時にJ博士の家のベッドにいた。とても暖かく居心地の良い場所だった。私は気を失ってたらしい。研究発表は成功したそうだ。彼は温かなスープの入ったマグカップを私に差し出してくれた。
彼は「もう時間がないんだ」と言う。すぐに南極の基地に、氷についての研究をしに行くんだと言った。私はそこに行ったら彼が2度と戻らないことを知っていたが、もはや何も言うことができなかった。彼はそれ以上何も言わず、私の耳に軽くキスをした。私は彼の手を握ったが、その冷たさに心底ゾッとした。それを悟られないようにしたが、彼はきっと気づいてたのだろう。


そのあとすぐに私は東京に帰った。それから1ヶ月後の3月とは思えない凍えるような寒さの日に、南極で彼が命を落としたことを恋人から聞いた。基地の外に出て生態系の調査をしていたときに、雪崩にあって亡くなったそうだ。ふと窓の外を見ると、東京に季節外れの雪が降り始めていた。